Giants #01

Standing on the shoulder of giants

ぼくたちは偉大な先人たちの肩に乗っかっている。いかに新しいことを生み出したのだ!と主張しても、それは先人たちのgreat workがなければなしえなかっただろう。一方で、先人たちの肩の上にいるからこそ、生まれ得ないものもまたある。

ここでは、主に、写真に関わる先人たちについて、書いていく。ただ、写真の歴史についての講義のような内容であれば、その手の書籍を読んだほうが正確だし、まとまっているので、ここでは、ぼくが好きな写真や言葉を紹介したいと思う(写真はPublic Domainのみなので、ここで実際にお見せ出来る写真は限られるだろうが。)

今回は、Louis Jacques Mandé Daguerre。写真機の原型となるダゲレオタイプの生みの親、ダゲール。彼の写真を紹介する。

ダゲールといえば、やはりこの写真をあげないわけにはいかない。

この写真は、1830年代に撮影されたもので、10分〜20分ほどの露光により撮影されたといわれている。今のカメラと異なり、この頃のカメラは長時間シャッターを開きっぱなしにしておかなければ、像がはっきりと映らなかった。

写真をみると、道路を行きかう人馬は全く写っていない。だが、唯一画面左下に片足を何かに乗せた人物(靴磨きと客といわれている)が写っている。これは、おそらく、人類史上、初めて写真に写った人物だろうこととされている。

この写真を挙げた理由はいくつかあるが、一つに、「写真は写そうと思わなければ写らないが、写そうと思っていなかったものも写ってしまう」ことが顕著に現れている写真だからだ。どういうことか。

この写真では、不自然なほどに人通りがなく写っている。実際には(確かめようがないので確かなことは言えないが)それなりに人馬の通りがあったのだろうと思われる。だが、それは「写っていない」。なぜなら、この頃のカメラは長時間じっとしていないと像が明瞭に現れてこないからである。つまり、すぐに移動するものは写らない。唯一、(左下の方に)人が写っているのは、靴磨きのため数分以上の時間をその場所にとどまっているからである。(そして、これはダゲールのやらせ、ともいわれている)

他方で、建築物や構築物は画角に入っているだけで、否応なく「写ってしまう」。なぜなら、移動しないからである。この中には、おそらく、ダゲールが意図せずに写ってしまったものもいくらか当然にあるはずである。「写そうと思っていなかった」ものも「写ってしまっている」はずだ。

現代のカメラ(一般的な市販のカメラ)は、このようなことはほとんど起こらない。特に前者のようなことは、意図的に露光量を減らし、ダゲレオタイプのような性質を有するように機材をセッティングしなければできないし、通常はそうしない。だからこそ、このダゲールの撮影した写真をみると、とても感慨深いものがある。

写真は写そうと思わなければ写らないが、写そうと思っていなかったものも写ってしまう

僕たちがスマートフォンやデジタルカメラで撮影する写真はどうだろうか。写真の意味を問われている。

[*1] The Met Collection
(https://www.metmuseum.org/art/collection)

[*2] Wikipedia commons
(https://commons.wikimedia.org)

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