幼少期の記憶を辿りながら、自分が幾度となく歩いた登下校路の写真を用いて、制作を行った。
子供の頃に触れていた物たち。かつての登下校路には、今なおそのままに残されている物があった。残されている物たちに触れていると、たちあがってくるものがある。見ているような見ていないような、視線が遊び、視点をしぼれていないような。そのような感覚がたちあがり、そして、記憶が現れてくる。
この写真たちは、現在の記憶なのか、幼少期の記憶なのか。
この写真たちは、誰の視線によるものなのか。
記憶を追跡しようとするほど、写真は記憶として曖昧なものになり、透き通るように重ねられていく。そして、記憶は、多重に現れてくる。
title: 道草 – 記憶と視線
date: 2019/5/23
paper: トレーシングペーパー、A3
page: 28